全員〇〇しよう!の恐ろしさ~一致団結と全員強制の境目~
クラスがまとまってくると 子どもたちがよく言い始める、
「全員で〇〇しよう!」
「全員〇〇できるようにしよう!」
というもの。
私は、かなり気を付けて様子を見守るようにしています。
人それぞれ、得意なものも不得意なものも違う。
好きなものも嫌いなものも違う。
絶対にやらねばならないことなんてありません。
最終的には子どもたち一人ひとりが自分で決めればいいものです。
それを許容しない集団は息苦しいし、うさんくさい。
火曜日に子どもたちが言い出したのが、
「全員手を挙げて発表できるようにしよう!!」
という目標。
私は、「ちょっと待って」と止めました。
それって、例えば、だれかだけが発表しなかった場合、その人を責めることになりませんか?
「先生、大丈夫です!このクラスにそんなひどい人はいません!」
うん、うん!責めない!大丈夫!
そう言えることは素晴らしいことですね。
でも、だれかのせいで毎日目標達成できない日が続いたら?
あーあってなりませんか?
そしたら、そのだれかは『自分のせいだ』って、いやな気持ちになりませんか?
あー。まぁ、たしかに。ちょっとは…。
「でも、みんなで応援すれば大丈夫だと思います。みんなが発表しやすい空気をみんなでつくれば、挑戦できると思うんです。そうやって、いろんな目標を達成してきました。」
そうだね。
そう言えるのは本当に素敵なことだし、みんなならできるかもって先生も思うよ。
応援するのは素敵なことだし、挑戦しやすい空気をみんなでつくることも素晴らしいことです!ぜひどんどんやってほしい!
でも…これは先生からのお願いです。
クラスがしん…となりました。
最終的にどうするかはその人自身が決めることです。その答えを尊重できるクラスになってほしい。
「どういうことですか?」
発表がどうしても嫌いで苦手な人が、発表しないことを選んだら、それを認めてあげられるクラスになってほしいってことです。
発表なんかしなくても、生きていけるよね?
発表できない人が、勇気がない能力がない人なの?
…絶対にそんなことないんです。
その人にはその人にしかない素晴らしい部分を他にちゃんと持っています。
子どもたちの表情が真剣になります。
古いことわざで、
「馬を水飲み場まで連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」
というものがあります。
??
私たちは、馬を引っ張って水飲み場に連れていくことはできる。
みんなに例えると…
「すぐにでも発表できるよ!発表しやすいよー!」という場をつくることができるってことね。
でも、無理やり水を飲ませることはできない。
水を飲む気がない馬に、「ほーら!飲むんだ!飲んだほうがいい!」って水をぶっかけてみたらどうなる??
ええーーーー!!かわいそう!!
飲む気になったらそのうち自分で飲むでしょ!!
そう!それ!
飲む気になったらそのうち自分で飲むんです。
そのタイミングは馬が決めるべきこと。
手を挙げて発表しよう!って思うタイミングも、みんな自身が一人ひとりで決めること。
だからね。
先生は全員じゃなくてもいいと思うよ。
でもね。
発表が苦手だなぁって思っている人はぜひ考えてみて。
このクラスは、「すぐに楽々に水が飲める水飲み場」に連れて行ってくれるんだって。
ちょっとでも飲んでみようかなって思う人はぜひ挑戦してみてください。
自分の限界は、自分が決めているものです。
みんなが自分らしく成長していくのを、みんなで応援していこうね。
この日から、1人をのぞく全員が毎日手を挙げて発表することにチャレンジしています。
でも、その1人に対しての声掛けも、なかなかステキです。
「Kくん、大丈夫!!発表なんかしなくても大丈夫だよー!!」
「でも応援するよ!いつかできるようになるよ!」
「おいー。そんなこと言ったら水ぶっかけてることになるだろ!」
「ちがうよ!ぶっかけてないよ!発表なんかしなくてもいいんだよ!」
「どっちだよー!」
このやりとりを、Kくんはにこにこ笑って聞いています。
Kくんの日記にこう書いてありました。
ぼくは、このクラスのみんながすごく好きです。
いつかぼくも発表できるといいな。
でも、発表できなくても大丈夫って思います。