担任にできることはどこまで?~相談と文句の違いはなんでしょう②~
以前、相談と文句の違いについて考えたことを記事にしました。
クラスの子どもたちに関することでした。
今日は、同じ職場で働く同僚の先生のことを書きたいと思います。
相談と文句は、似ているようで大きな違いがあると思います。
自分でどうしたらよいか考え、何とかしようとする気があるように見えるのが相談、そうでないのが文句(≒愚痴)なのではないかと考えます。
文句や愚痴は、気の許せる人にたまーに話すことは必要だと思います。
それで楽になれることも多いです。
でも、基本的には、時間の無駄です。
聞いている方もいい気がしないし、自分の価値も下げていくものだと認識しています。
なので、なるべく最後は相談になるようにしよう✨と心がけています。
(まあ、そうは言っても難しいんですけど(^^;))
「うちの校長ってさー。結局、"他人事"ってスタンスで動かないよね。今とりあえずうまくいってればいいって考えでさー。こっちは大変だってのに。もっと出てきて直接Tくんの親に話してくれればいいのにさー。」
これが、昨日聞いた同僚の文句です。
(ちなみに、この内容について校長先生と直接お話はしていないそうです。)
Tくんは、2年生。
授業中自分の席に座っていることが難しいお子さんです。
かんしゃくを起こすことも多いので、友達とのトラブルも耐えません。
Tくんのお母さんは、担任がお話ししても、その事実をなかなか受け入れてくださらないのだそうです。
高学年の算数補助の先生を、T君対応専門にすることで、ひとまず友達に危害を加えることはなくなりました。
先日のケース会議で、校長先生は、「補助の先生が入って落ち着いているのであれば、このまま様子を見ましょう」という判断をしました。
そこで、上の文句につながります。
私は、この文句を聞きながら、ちょっと違うんじゃないかなーと思いました。
Tくんについて、側で見ていてよく知っているのは担任です。
したがって、Tくんの問題についてどうしたらいいか考えるのは、担任の仕事だと思います。
校長先生から動いてもらうことじゃありません。
そして、その目的は、Tくんにとって何が最善かを中心におくべきです。
こっちが大変かどうかを中心にしてしまったら、論点がズレます。
担任が、校長とTくんの親とが話す必要があるのだと考えるのならば、どのような理由でどんな内容を話してほしいのかを明確にして、校長先生にお願いすべきです。
「結局、どうするのがTくんにとってよさそうなの??」と聞くと、
「通級に通ってもらうか特別支援教室に入ったほうがいいと思う」
とのこと。
それは本当にTくんのことを思ってのことだということ。
でも、お母さんはその必要があるとはたぶん考えていない、と。
(↑これは、あくまでも憶測です。上のような考えを、担任が保護者に不躾に話すことはタブーです。)
専門家の意見は聞いた?
校長先生にその意見は話したの?
お母さんに学校でしている支援とその結果や成果については具体的にお話しした?
学年の先生方の意見は聞いたの?
答えはいずれもNOでした。
(ちょっとうざったそうな顔をされました(-ω-。)ガーン)
文句ばかり言っていても始まりません。
問題が起こったとき、
子どもたちについて観察し、必要な情報を集め、勉強して、子どもにとって最善であろう具体的な対策を考えるのは、担任の仕事だと思います。
その考えを上司、保護者、同僚に発信した上で、対策を練り上げていく必要があると思います。
最終的には保護者の判断がすべてです。
でも、判断するために必要な情報をこちらから示さずに文句を言うのは違う。
専門家として、さまざまな資料を用意した上で、共に考える立場として、保護者の方と真剣に向き合う必要があると思います。
やることをやりきって、ストップをかけられて始めて、文句をこぼしてもちょっとは許されるかなーと
これ仕事だし、やれることはやった方がいいんじゃないかなーと
思うんですけど……●| ̄|_
単に文句を言いたいだけの時もありますよね(._.)
同僚にいろいろ言い過ぎちゃったかなー
もっと上手く伝えられたんじゃないかなー
と。
実はめっちゃビビっているみかんです。笑
月曜日、どう話しかけるか考えます。
その前にLINEでも送っとこうかなー………
でもなー…………
先生にとっての運動会~苦悩の日々も楽しく過ごします~
またしても間が空いてしまったーーー!!!Σ( ̄□ ̄;)
まぁ、めげません。笑
そ知らぬ顔で復活したいと思います。
さて。
学校が始まって一週間が経ち、
そろそろ、空気は運動会準備一色になってきました。
私の学校の6年生は、ここ2年間、壮大な表現✨にチャレンジしています。
3年前、学校的に組体操が禁止になってからというもの、組体操に劣らない素晴らしい演技を…と、毎年頭を悩ませます。
夏休み後半から、
テーマは何にしようか?
曲は?
ダンスは?
何を持たせる?
と、もんもん🌀と思考を巡らせます。
思えば2年前。
目標は、組体操に負けないくらい感動する表現をつくってやる!でした。
夏休み中、ダンス教室に通って基礎を学びました。
そして、去年。
目標は、去年の表現を越えてやる!になりました。
劇団四季を見に行ったり、日体大の集団行動をYouTubeで見まくったりしました。
そして、今年です。
まさかのまさかで3年連続6年生を持つことになるとは、思ってもみなかった!笑
もちろん目標は、去年の表現を越えてやる!✨です。
去年の自分をちょっとだけ恨みます。( ω-、)
YouTubeの様々な動画を集めては動きを書き出し、
実際踊ってみては筋肉痛になり、
TSUTAYAでCDを借りてはまた取り寄せ、聞きまくり、
イメージを広げます。
その作業は、苦しいけれど、楽しいです。
子どもたちが、達成感を感じられるものにしたい。
みんなで何かをつくり上げる喜びを、一人でも多くの子に感じてほしい。
お家の人が、子どもの成長を感じられる瞬間を作りたい。
単純な私は、もう気分はすっかりアーティストです。笑
通勤中も、
食事中も、
頭の中は表現の音楽がぐるぐる回っています。
犬の散歩中に突然アイディアが浮かんで、手を動かしてみたりしちゃいます。
あと1ヶ月、アーティストみかんとして、カッコつけて生活してみます( ̄ー ̄)✨✨
もうすぐ2学期~この時期毎年先生が見る夢~
始業式は来週火曜日。
私は、毎年この時期に見る夢があります。
夢といっても、夜に見る夢🌃の方です。
夢その①みんなの心が離れている
これが一番たくさん見るやつ。
始業式、教室に入って挨拶をしても、誰からも返ってこない。
話をしても、誰も聞いてくれない。
冷や汗がダラダラ流れる。
「どうしたらいいんだ。どうすれば………」
そう頭を抱えたところで目が覚める。
夢その②名前が出てこない
始業式、久々の健康観察をしようとしたら、名前が出てこない。
なぜか名簿の文字も読めない。
みんなの怪訝な顔。
冷や汗がダラダラ流れる。
「そんなはずはない。なんでだ?どうすれば…」
ここで目が覚める。
夢その③授業ができない
みんなの前に立って授業を進めようとする。
でも、声が出ない。
あれ?準備をしていない。
今日は何の授業をするんだっけ?
冷や汗がダラダラ流れる。
「私、ここで何をするんだっけ?どうすれば……」
ここで目が覚める。
毎年、この時期に毎日のように見る夢。
みんなに会う前に、何度も名簿を見る、教科書を開く、本を読み直す。
その機会をくれる夢です。
先生も、夏休み明けはかなり緊張するんです。
情けないけど……(;ω;)
この不安も、悪いことばかりじゃない気はします。
フットワークを軽やかに~会いたい人には会いに行こう~
人を誘うときは、いつもドキドキします。
断られるのが、コワイからです。
八方美人な私は、面倒だなと拒絶されるのがコワイ。
なので、滅多に自分から人を誘えません。笑
その場のノリで、「やろーーー!」と言うのは大丈夫です。
(雰囲気でだいたい確約が取れてますから)
幹事とかもバンバンやります。
(大勢に発信して何人かに断られるのであれば、そんなに気にならないので)
ただ、ゼロから自分発信で「一緒に○○しよー!!」と誘える存在は、本当に少ない。
この人なら大丈夫!となるまでに、結構な時間がかかります。
そう。ビビリなんです(((((((・・;)
なので、誘ってもらったときは、なるべくすっ飛んで行きます✨
会いたい人からの誘いはもちろん、初めて誘ってもらった場合なんかは、なんとか都合を合わせて行きます。
ほんの30分しか時間がとれなくても、場所が遠くても、可能な限り行きます。
会えて嬉しい、誘ってくれて嬉しいという意思表示をはっきりします。
誘ってもらえるのが、嬉しいから。
また誘ってほしいから。
この大チャンスを逃したら、もしかしたら次はないかもしれないと思うから。
人生の中で、関われる人はほんの一握り。
いろいろな人との出会いや関わりを経て、人は成長していきます。
だから、フットワークを軽やかに、会いたい人のところへ会いに行ける自分でありたいです。
ホントは、もうちょっとビビらず誘える人になりたいです。
これ、一つ目標にしてみようかな。
旦那と私はかなり違う~だからこそ学べること~
旦那と私はびっくりするほど違います。
私 旅行大好き
(年に2回は行く。正月はだいたい海外)
旦那 旅行興味なし
(行く意味わからん。お金もったいない)
したがって、旦那実家以外の旅行に一緒に行くことは稀。笑
私 早起き大好き
(4時起きが理想。早起きは3文の得でしょ)
旦那 朝苦手
(出かける10分前に起きたい)
したがって、平日お互いの起きてる姿を見ないこともしばしば。
私 歌うの好き
(オフサイドとかマジわからん)
旦那 サッカー&フットサル好き
(カラオケは音に合わせて筋トレをする場所)
したがって、土日も別行動が多い。( ̄ー ̄)笑
旦那は合理的で論理的で面白いものが好き。きれいな景色とか興味ない。自分の考えがはっきりしている。
私はどっちかというと情緒的。美しい景色とか音楽とか大好き。八方美人で人からの影響を受けやすい。
男女の違いあるある✨ですかね。
うちの場合はあまりに違いすぎて、異生物と話してる感じが面白いです。
👧「見て見て!草原だ!キレイだねーー!!」
👨「おー。虫がいっぱいいそうだな。」
👨「おっ!モドリッチやー。さすがやな。」
👧「なになに?ドロリッチ??おいしーよね。」
👨「ちげーよ。」
👧「あぁ…夕焼け見てるとちょっと切なくなるなぁ…」
👨「これあと何分くらい見るの?ゲームもう一試合やれる?」
👧「え(゜ロ゜;!今ゲームやってたん?」
👨「うっひゃっひゃっひゃ!」
👧「それそんなにおもしろいん?落とし穴に落ちてるだけなのに??」
👨「あーーーっはっはっは!ひっひっひっひ」(腹を抱えて笑い続ける)
異生物との生活は、「多様性」「他者理解」の幅を果てしなく広げてくれます。
旦那さまから学ぶことは日々とても多い。
そんな私たちの共通点はやっぱり………
ポジティブですかね✨✨
負の感情と向き合ってみる~嫌な感情は打ち消すものじゃない~
自分の中で、ちょいちょい顔を出す負の感情。
イラっときたり
ムカっときたり
ざまあみろと思ったり
蔑んじゃったり
憐れんじゃったり
態度変えちゃったり
嫌味言っちゃったり
素直に受け止められなかったり……
そりゃあもうひどいもんです(/o\)
そんな感情に気付く度に、「なんて小さい人間なんだろー🌀」とか、「こんな自分嫌だー🌀」なんて思って、ウジウジしちゃったりします。
でも、最近思うのは、これをなかったことにしてはいけないんじゃないかってことです。
こんなこと思っちゃいけない!とか、
こんな私、嫌い!とかって目を背けても、
あんまいいことないかもなーと思ったのです。
負の感情がない人なんていない。
だって、人間だものヽ(´▽`)/❗笑
そもそも、何でそんな負の感情が出てくるかって考えると…
その裏には、
自分が頑なに信じている何かとか、
失いたくない何かとか、
実は気づいてない触れたくないコンプレックスとか……
自分にとって大切な何かがあるんだと思うのです。
つまり……
失いたくない何かを傷つけられそうになったり、
触れたくない何かに触れられそうになったりしたとき、自分を守る手段として、負の感情が出てくるんじゃないかなと。
それをなかったことにしてしまうと、いつまでたっても、自分の核の部分と向き合えない。
自分は、なぜあの人に冷たくしちゃうのか。
自分は、なぜ今イライラしてるのか。
きちんと向き合うことで、見えてくるものがきっとある。
自分の深い部分を見るのは、つらいことも多いと思います。
認めたくない部分も、きっとたくさんあります。
そして、そのつらさを覆い隠してくれているのが、負の感情なんじゃないかと思います。
だからこそ、負の感情は、汚いものでも打ち消すものでもない。
当たり前にある感情なのだと思うのです。
もちろん、負の感情を人に乱暴にぶつけることで得られるものは、たぶん大してありません。
しっかりとアンガーマネージメントした上で、
その他の部分で自分をいたわってあげた上で、
その中身について考えることも大切なんじゃないかと思います。
「イラっとしちゃう自分きらーい(-_- )」とウジウジしている暇があるならば、
イラっとしたその先をきちんと見つめられてこそ、
本当の意味で懐の深い人✨になれるのではないかと。
そうはいってもなかなかできないんですけどね💨
でも、嫌な自分もちゃんと受け止められる自分でありたいです。
私の大切な場所~ふるさとっていくつあってもいい~
私には、ふるさとが3つある。
そのうちの一つ、祖母の家がある愛媛県西宇和郡伊方町について紹介しようと思う。
伊方町は、愛媛の細長ーくとんがった部分の先っちょ。
海と山に囲まれた集落に、祖母は住んでいる。
そりゃあもうびっくりするくらいのレベルのド田舎✨だ。
一番近くのスーパーまで、車で10分。
(歩くと1時間くらい。しかも夕方には閉まる。)
最寄り駅までは……
ん?最寄り駅とかないかも。
電車は通ってない。
松山から、バスが1日3本出ているだけ。
家に鍵とかあるんかな?
かけているところは見たことがない。
荷物は郵便屋さんが中まで届けてくれる。
虫が大きい。
蚊も蜘蛛もGもめちゃくちゃ大きい。
道を歩いていると声をかけられる。
「見かけん顔やねー。あんただれやー?」
………!!(゜ロ゜ノ)ノアンタモダレヤー!!笑
料理を作っていて、野菜がなくなると、祖母は包丁を片手に家を出ていく。
………………(((((゜゜;)フシンシャ!!笑
畑にいって野菜を刈ってくるのだ。
葬式には、集落の皆さんで集まってお経を唱えたりする。
祖父の遺骨は親戚が自ら墓に潜って納めた。
これには本当にびっくりしたけど、感慨深かった。
山には猪が出る。
祖母家はみかん農家。
猪の罠を仕掛けたりする。
夜はまっくら。
街灯とかは、あまりない。
だから……
星がめちゃくちゃキレイ✨
空気が澄んでる✨
自然の音が聞こえる✨
心が落ち着く✨
自分の悩みをちっぽけに感じられる✨
私はこの場所が大好きだ。
ここで会える人たちが大好きだ。
大好きすぎて、大学生のときからずっと、みかんの収穫の手伝いという名目を作って入り浸っている。
今も。
祖母が元気なうちは、年に2回は帰る。
それが私が勝手に立てた目標だ。
いつ行っても、
「おかえり」と迎えてくれる。
「またおいで」と見送ってくれる。
祖母の笑顔が大好きだ。
がんばって生きてきた、しわくちゃな手が大好きだ。
どんなしょーもない自分も受け止めてくれる場所。
生きることがいかにシンプルなことかを思い出させてくれる場所。
人っていいなぁー。地球っていいなぁー。
なんていう漠然としたよくわからないことを、ただぼーっと味わえる、最高に贅沢な場所。
生まれ育った場所ではないけれど、私の欠けがえのないふるさとです。