相談と文句の違いはなんでしょう
私の学校では、親善球技会というものが毎年行われます。
近隣の学校が集まって、バスケットボールで対決をするというもので、6年生が出場します。
球技会に向けて、子どもたちは休み時間も放課後も練習に励んでいます。
放課後練習は強制ではないのですが、毎日15人くらいの子達が校庭に集まって、ワイワイ練習(バスケットボール遊び?)をしているようです。
(私はその時間、保護者の方々と個人面談中です。)
昨日の自主学習ノートに、一昨日の放課後のことを書いた子が2人いました。
①「相談があります。
昨日の練習は、Sくんの鼻水がボールについたことで、おふざけモードになってしまい、なかなか試合が始まらず、時間をあまり上手につかえませんでした。
こんなとき、どうしたらいいと思いますか?
わたしは、鼻水くらいでキャーキャーいうのはおかしいと思います。」
②「先生に報告します。
もう二度とあんな練習には参加したくありません。
鼻水くらいでキャーキャーいう女子も、それをふざけておもしろくする男子にもイライラしました。
あんな練習、する意味ありません。
わたしは、行かなきゃよかったと思いました。
何人かの女子で話して、ここに書こうということになったので書きました。」
①は相談。②は文句。
同じことを言っているのに、受ける印象が全然違います。
大きな違いはなんなんだろうと考えました。
そこで閃いた💡
自分で考え、何とかしようとする気があるように見えるのが相談。
それがないのが文句かな、と。
これが大人だったら、②のようにいう人に私は、
「じゃあ行かなければ?」
と言って終わりだろうなあと思いました。
まず、状況把握。
鼻水を足らしたSくんを呼びます。
「昨日の放課後練習について教えてくれる?」
「あー。ちょーウケますよ!俺の鼻水のせいで大混乱でー。でも最後の方は試合できたし、楽しかったっすー!」
…………。問題なし( ̄ー ̄)
①の子を呼んで話を聞きます。
…なるほどなるほど。
書いてある通りの状況。
いじめ的な要素はなさそうだったのでひとまず安心。
真面目に練習したい派とゆるーくふざけてても気にならない派の間でよく起こる摩擦的なものです。
一昨日は、鼻水事件(笑)が勃発した結果、ふざける派の勢力が強まる時間が長くなったために、真面目に練習したい派のストレスが増大した感じだと捉えました。
「なにかできることはあると思う?」と聞くと、
「みんなで昨日のことについて話したいけど、勇気が出なくて…」
「そしたら、誰か一緒の立場で話をしてくれる人はいそうかな?」
「あ!いるかもしれない。」
「一緒に話をしてくれそうな子に、今から声をかけてみて。また教えてくれる?先生も手伝うからがんばろう。」
②の子を呼びます。
正義感たっぷりであの子があーだった、この子がこーだったと話します。
全部、文句です。
「それで、どうしますか?」
「え?」
「もう行くのをやめますか?」
「……」
「それとも、先生になんとかしろという意味ですか?」
「……そうじゃないけど、他の女の子たちと書こうってことになったから書いただけで、私は悪くないし。」
「じゃあ、もう行かなければいいと思います。他の女の子たちも行かなくていいです。」
「え。行かないとは言ってないです。」
「行きたいんですか?」
「………はい。」
「それなら、これから昨日のことを改善したいと思う人たちが勇気を出してみんなに話すそうです。見ておきますか?参加したいですか?」
「……参加したいです。」
最後の方は、ちょっと語気を強めに話しました。
ちょっと強引だったかなぁ…
クラスの半分以上が参加していたようだったので、みんなに事情を話し、みんなで話し合いました。
①の子は、友達の力を借りながらでしたが、堂々と「何が嫌だったか。どうしていきたいか」を話すことができました。
②の子も真剣に話し合いに参加していました。
最後に話しました。
先生は相談には喜んでのるよ。
みんなの中で問題が起こったときに解決するお手伝いも応援もするよ。
でも、嫌なことがあったら先生に言って何とかしてもらえばいいやって思うのはやめてね。
何か問題が起こったときに、まず、自分には何ができるだろうって考えることが大切だと思います。
②の子とは、そのあと少し話をしました。
何がいけなかったかわかったと話してくれました。
「次はぜひ、‘’相談‘’をしてね。あなたの成長を楽しみにしてるよ。」
そう言うと、にこっと笑いました。
トラブル対応は難しいです。
何度も自問自答しながら進んでも、失敗したと思うことの方が多いです。
今日、子どもたちから教わったのは、相談と文句の違い。
私も気を付けます。