いじめの定義について考えてみる。~本日の退勤時間は21時半でした~
20時退勤をあきらめたわけじゃないのです。
断じて
あきらめておりません。
今日は無駄口もたたかず必死でお仕事をしましたとも。
でも、結果は惨敗でした。
今日の仕事の大半は、生徒指導主任関係。
近頃疑問に思っていたことを書いてみます。
それは…
いじめについて。
文部科学省によるいじめの定義は以下の通り。
個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。
「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」 なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
要するに…
いじめられたと感じた子が精神的につらいと感じたら、それはすべていじめ。
私は、この定義に異論はない。
問題は、この定義に忠実に従った上で、いじめとみなされる事案については、すべて教育委員会に報告するようにという厳しい通告があったことだ。
つまり…
B子「Aくんにバカって言われたー!!つらいーー!!」でも、謝って仲直り❤
→B子がつらいと訴えているため、これはいじめ。いじめとして委員会に報告する。その後最低3か月の見守り(毎月状況報告)。その後、本人と保護者に確認して何もないようなら、晴れて解消となる。
委員会いわく、
このレベルでいじめに値するのだから、いじめがゼロなんて学校はあるわけがない。よって、もしもいじめ報告がゼロなんていう学校があったら、ゼロの根拠を地域保護者に説明させるから覚悟しておくように。
とのこと。
要するに委員会は…
いじめゼロを目指す のではなく、
いじめを積極的に認知し、報告し、真摯に対応することを目指す方向にシフトチェンジしたのだ。
私は、生徒指導主任として、このシフトチェンジに対応するため、いじめに関するアンケートを、学期に1回から月に1回に変更することにした。
より正確な状況把握を行うためだ。
そして、アンケート結果を共有する時間を各学年でとるように設定した。
これで、担任個人単位でのいじめの隠蔽を防ぐことができると考えた。
子どもたちのアンケート結果から教師が聞き取りを行い、その中でいじめとみなされると判断したものと、日常のトラブルの中でいじめに該当するものを委員会に報告することにした。
でも、4、5月を見て、結果として起こったことは…
大変な状況にある学年やクラスほど報告件数が少ない。
ということだった…。
あー。
どうすっかなー。
難しいなー。
いじめゼロを目指す のではなく、
いじめを積極的に認知し、報告し、真摯に対応することを目指す
言い分としては、分かる。
どんな小さく見えるトラブルも、甘く見ていると痛い目に遭う。
真摯に受け止め、真摯に対応することで、問題が深刻化することを防ぐことができる。
でも、そういった出来事をちゃんと報告できる人は、もともとちゃんと対応している教員だ。
帳簿に、子どもたちに起こったさまざまなことを書き留め、学年や管理職に報告する習慣がついているような教員は、いじめを深刻化させるようなことはほとんどない。
「報告することなんてないです。」
というような教師のクラスの方が危ないのだ。
学級崩壊に近いようなクラス状態になってしまった場合、B子のような事例は1日に何十件と起こる。
しかも教員の指導が通らなくなれば、なかなか解消なんてしない。
最もいじめがはびこる危険性が高いのは、こういった学級だ。
作成しなければならない報告書類は増え続ける。
このクラスの担任が、きちんと一件一件報告し、山のような報告書に追われることになるのだろうか?
…いや。
その場合、かなりひどいもののみを報告し、その他のものについては、報告するに値しないトラブルとして処理していくことになるのだ。
それが、上で起きた結果なのだろう。
今回のシフトチェンジは、もともとちゃんとやっている教員の報告先を増やし、書類作成の時間を追加したにすぎないような気がしている。
ちなみに……
思いの外時間がかかった、本日の私のお仕事内容は、
報告書の直し。
「報告書類を公開をしなければならなくなったときのことを考え、報告文章を修正して提出し直すように」との指導が委員会から入り、文体を統一し、手直しをしていた。
体裁ってそんなに大切だろうか。
これじゃあどんどん手間ばかりが増えていって、ますます報告するのが面倒でややこしくなっていってしまうのではないか?
もちろん誤字脱字は事前にチェックしている。
後から保護者が見て、見映えのよい文章にせよということだ。
担任ごとに、表現の仕方は違って当然だ。
そこを直す手間は何のため?誰のためだ?
なんか、いろいろちがくないか?!Σ( ̄□ ̄;)