先生とお母さんが手を組んでみる!①~どうしても嘘をついちゃうKちゃんの成長~
「先生、相談があります。うちの子、嘘をつくのが癖になっちゃってる気がするんです。」
「嘘というと?どんな嘘ですか?」
「小さい嘘は、それこそ数えきれないほどあって…。」
4月終わりごろ、Kちゃんのお母さんから電話でこんな相談を受けました。
子どもは嘘をつくものです。
親に対して秘密を持つようになるのは成長の証拠でもあります。
でも、あまりに頻繁に…となると、心配です。
「例えば…。昨日って宿題なしでしたか?」
「いえいえ!ありましたよ。Kちゃんは、漢字ノートを家に忘れたって言ってました。」
「それ…嘘なんです。私には、先生が宿題なしって言ったって言ったんですよ。」
「忘れ物をすると、赤鉛筆で連絡帳に書いて私に見せています。連絡帳、どうなってますか?」
「1ページ破られているんです。忘れ物の記述はありません。」
「なるほど…」
「これ、もう2年前くらいからずーっとなんです。3年生の時も、4年生の時も、そうやってごまかして、やってない宿題がたくさんあるように思います。
他にも…習い事に行くって嘘をついて遊んでいたり、お小遣いでは買えないようなものが部屋に置いてあったり…。
あの子の言うことを信じたいのに、あまり信じられなくなっている自分がいて、心配なんです。」
「それは、大変ですね…。心配されていることは、Kちゃんには伝えましたか?」
「伝えました。でも、ふーん?って感じで、響かないというか…」
「これがどうなったらいいとお母さんは思われますか?」
「嘘をつく数を減らしていきたいです。このままだとKの将来が心配で…。」
キラーーン( ̄ー⁺ ̄)
ここで閃きました。
「お母さん、手を組みましょう!私たちが協力して、Kちゃんの嘘をことごとく暴いていきましょう!」
「は?」
「嘘をたくさんつくのは、嘘をつく方がKちゃんにとってのメリットが多いからです。正直に言う方がメリットが多い経験を、この1年間でたくさんできるようにしましょう!」
そこから、お母さんと携帯の連絡先を交換し、毎日SNSメールでやりとりをしていきました。
「宿題なしと言っています」
「宿題は漢字です」
「漢字ノート持っていきました」
「了解しました。ありがとうございます」
教室に入ると、Kちゃんは私のところに来て、すました顔でこう言います。
「漢字の宿題、やったんですけど、家にノートを忘れてきてしまいました。」
連絡帳に赤で書かれた「㋻漢字ノート」を持って。
思った通り、連絡帳の一番右端の行に書かれています。
ペラっと前のページを見ると、昨日の宿題の欄に書かれていた文字は消しゴムで消されて、「なし」と書かれていました。
「これ、どういうことですか?」
Kちゃんの表情が凍ります。
「昨日の宿題のところになしと書かれています。どういうことですか?」
Kちゃんは、涙目になりながら、こう言いました。
「お母さんに早く宿題やれって言われるのがいやで、なしってしてしまいました。でも、漢字をやったのは本当です!」
「わかりました。確かめますから、引き出しとランドセルをここに持ってきてください。」
Kちゃんの顔が青ざめていきます。
私はKちゃんの机まで歩いていき、引き出しの中から、漢字ノートを取り出して開きました。
もちろん、宿題はやってありません。
「どういうことか、説明してください。」
しくしく泣きだすKちゃん。
「これは初めてのことですか?それともこれまでにも同じ嘘をついたことがありますか?」
「初めてです!これまでにはありません!」
「………」
私は一瞬言葉を失いました。
Kちゃんがまっすぐに私の目を見て訴えてきたからです。
ここで正直に言ってくれたら、「よく言った!!」と認めたくて、した質問でした。
これは重症だ…
もう反射的に、自分を守るための嘘をつくようになってしまっているのだと思いました。
Kちゃんはそうやって、自分を守ってきたのです。
一度深呼吸。
ここは、心を鬼にして対峙します。
連絡帳をパラパラめくりました。
「宿題なし」と書き変えられている箇所は、5年生が始まって3週間で3か所もありました。
「じゃあ、これはなんですか??」
「……」
「説明しなさい!」
届け…!!怒りの中に祈りを込めて。
「それは…妹がいたずらして書いて…」
ブチッ
頭の中で音がしました。
これはドカーンといくところだ。
渾身の力を込めて一発叫びます。
「ふざけんな!!」
私の声に、教室中がびっくりしてしん…となりました。
「あなたは、4回も嘘をついた!
この嘘は、正直に宿題を忘れたと言っている人たちにも、きちんとあなたと向き合おうとしているお母さんにも先生にも失礼です!」
「だって…。怒られるのがいやだから。」
泣きながらKちゃんは言います。
「宿題を忘れたくらいで先生はこんなに怒りません!
宿題が嘘をつく材料になるくらいなら、宿題なんてやらなくていい!!
嘘をつく方がよっぽどいけない!
先生は、嘘をつかれてごまかされたことが悲しい!!
嘘をつかれているお母さんがかわいそうだ!!」
わんわん泣き出すKちゃん。
「もうあなたの言うことは信用できません!
信用されない人間は、何も任せてもらえません!
何も頼ってもらえません!!
人のせいにばっかりするんじゃない!
あなたの生き方はあなたが決めるんだ!
嘘をついてごまかすような人になるんじゃない!!」
泣き崩れるKちゃんの周りに、クラスの子どもたちが集まってきます。
「大丈夫だよ。ぼくも、嘘ついちゃうことあるよ。」
「そーだよ。先生に謝ろう。」
「お母さんにも謝れば、きっとわかってもらえるよ」
「次から気を付ければいいんだよ。」
子どもたちが帰った後、お母さんにメールします。
「指導しました。帰って自分からお母さんに話すことになっています」
「正直に話してくれました」
「やったー!正直に話せたときは、たくさんほめてあげてください!」
「娘と一緒に泣きました。先生、ありがとうございます」
こんな感じのやり取りを、1学期だけで5,6回繰り返しました。
嘘は暴いて怒る。
正直に言えたら、一緒に喜ぶ。
Kちゃんは近頃、めったに嘘をつかなくなりました。
嘘をついてしまっても、
「さっきのは、嘘で、本当は…」
と、自分から言い出せるようになったそうです。
先生と保護者が手を組むと最強です。
お互いが、子どものためを思って協力したとき、その効果は絶大になります^^
奇跡を起こす秘訣〜教育で1番大切なこと〜
それで?
教師にとって結局1番大切なことは何なの??
聞かれて改めて考えた。
そうだな…
大切なことはいろいろあるけれど……
その子の可能性をだれよりも信じて応援し続けること
だと思う。
例えば、
今日のマット運動の授業。
倒立ができるようになるためのスモールステップを組み立てたら、
あとはもうひたすらひとりひとりを全力で応援し続ける。
「できるよーーー!!」
「さっきよりよくなったよーーーー!!」
「腰が高いのがいい!!」
「腕がのびてきたぞーーーー!!」
私が叫び続けてると、周りの子どもたちにも伝染していく。
できるよーーーー!!
やれるぞーーーー!!
あとちょっとーーーー!!
体育館中が応援の渦に包まれる。
信じて応援する力って、ほんとハンパない。
そして、彼ら自身が自分の力を信じたとき、奇跡は簡単に起こる。
できた!!
できたよ!!
倒立できたーーーー!!
喜びの悲鳴があちこちで上がり始める。
Yくんが駆け寄ってきて、こう言った。
先生が言った通り!!
できるって信じたら何でもできる!!
もう、この笑顔がたまらない。
彼らにとっては、毎日が奇跡の連続です。
今日も奇跡を見せてくれて、ありがとう。
先生も、奇跡を起こしてみせる。
全員〇〇しよう!の恐ろしさ~一致団結と全員強制の境目~
クラスがまとまってくると 子どもたちがよく言い始める、
「全員で〇〇しよう!」
「全員〇〇できるようにしよう!」
というもの。
私は、かなり気を付けて様子を見守るようにしています。
人それぞれ、得意なものも不得意なものも違う。
好きなものも嫌いなものも違う。
絶対にやらねばならないことなんてありません。
最終的には子どもたち一人ひとりが自分で決めればいいものです。
それを許容しない集団は息苦しいし、うさんくさい。
火曜日に子どもたちが言い出したのが、
「全員手を挙げて発表できるようにしよう!!」
という目標。
私は、「ちょっと待って」と止めました。
それって、例えば、だれかだけが発表しなかった場合、その人を責めることになりませんか?
「先生、大丈夫です!このクラスにそんなひどい人はいません!」
うん、うん!責めない!大丈夫!
そう言えることは素晴らしいことですね。
でも、だれかのせいで毎日目標達成できない日が続いたら?
あーあってなりませんか?
そしたら、そのだれかは『自分のせいだ』って、いやな気持ちになりませんか?
あー。まぁ、たしかに。ちょっとは…。
「でも、みんなで応援すれば大丈夫だと思います。みんなが発表しやすい空気をみんなでつくれば、挑戦できると思うんです。そうやって、いろんな目標を達成してきました。」
そうだね。
そう言えるのは本当に素敵なことだし、みんなならできるかもって先生も思うよ。
応援するのは素敵なことだし、挑戦しやすい空気をみんなでつくることも素晴らしいことです!ぜひどんどんやってほしい!
でも…これは先生からのお願いです。
クラスがしん…となりました。
最終的にどうするかはその人自身が決めることです。その答えを尊重できるクラスになってほしい。
「どういうことですか?」
発表がどうしても嫌いで苦手な人が、発表しないことを選んだら、それを認めてあげられるクラスになってほしいってことです。
発表なんかしなくても、生きていけるよね?
発表できない人が、勇気がない能力がない人なの?
…絶対にそんなことないんです。
その人にはその人にしかない素晴らしい部分を他にちゃんと持っています。
子どもたちの表情が真剣になります。
古いことわざで、
「馬を水飲み場まで連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」
というものがあります。
??
私たちは、馬を引っ張って水飲み場に連れていくことはできる。
みんなに例えると…
「すぐにでも発表できるよ!発表しやすいよー!」という場をつくることができるってことね。
でも、無理やり水を飲ませることはできない。
水を飲む気がない馬に、「ほーら!飲むんだ!飲んだほうがいい!」って水をぶっかけてみたらどうなる??
ええーーーー!!かわいそう!!
飲む気になったらそのうち自分で飲むでしょ!!
そう!それ!
飲む気になったらそのうち自分で飲むんです。
そのタイミングは馬が決めるべきこと。
手を挙げて発表しよう!って思うタイミングも、みんな自身が一人ひとりで決めること。
だからね。
先生は全員じゃなくてもいいと思うよ。
でもね。
発表が苦手だなぁって思っている人はぜひ考えてみて。
このクラスは、「すぐに楽々に水が飲める水飲み場」に連れて行ってくれるんだって。
ちょっとでも飲んでみようかなって思う人はぜひ挑戦してみてください。
自分の限界は、自分が決めているものです。
みんなが自分らしく成長していくのを、みんなで応援していこうね。
この日から、1人をのぞく全員が毎日手を挙げて発表することにチャレンジしています。
でも、その1人に対しての声掛けも、なかなかステキです。
「Kくん、大丈夫!!発表なんかしなくても大丈夫だよー!!」
「でも応援するよ!いつかできるようになるよ!」
「おいー。そんなこと言ったら水ぶっかけてることになるだろ!」
「ちがうよ!ぶっかけてないよ!発表なんかしなくてもいいんだよ!」
「どっちだよー!」
このやりとりを、Kくんはにこにこ笑って聞いています。
Kくんの日記にこう書いてありました。
ぼくは、このクラスのみんながすごく好きです。
いつかぼくも発表できるといいな。
でも、発表できなくても大丈夫って思います。
文句を学びに変えちゃおう!~自ら考え成長していく機会をつくるには~
先生、聞いてくださいよ。
私たち、一生懸命話し合いを進めているのに、みんなが文句ばっかり言うんです。
とくにSくんとか。
時間が限られているから、指名することができなかっただけなのに、「ひどい!」って言ってくるんですよ!
先生、進行している人が、他の人は指名したのに、ぼくだけ飛ばしてきたんです。
それで、「時間がないから仕方がないでしょ!」とか言ってくるんですよ。
Nくんのことは指名したのに、ひいきです。ひどいんですよ!
子どもたちが自主的に自分たちで話し合いをするようになると、必ず起きるぶつかり合いです。
わたしはこういう時、絶対になんとかしてあげません。
両者の話を、
「うん、うん。そーなんだ。それで?へぇーー!そうなの?」
と聞き切ります。
「他にも何か嫌なことがあった?うん、うん…。そーなんだ。」
そう言って、もう何も出なくなるまで聞き切ります。
そして、最後にこう言います。
「それで??先生にどうしてほしいの??」
「え?」
「だから。それで、先生にどうしてほしいの??」
子どもたちはだいたい、ここでびっくりしたように黙ってしまいます。
私は、冷たくキツイ口調できっぱりこう続けます。
あー。先生がなんとかすればいいの?
んじゃ、こういうことだ。
Sくん。
話し合いを進めている人は、慣れない中、時間も見ながら必死に進めているんです。
32人もいる中、10分間で話し合いの結論を出さなければならないときに、すべての人の意見を全部平等に聞くことは不可能です。
文句ばっかり言われたら、どんな気持ちがするかわかりますか?
譲り合う心や、相手を思いやる心をもてない人は、話し合いから抜けてください。
わがまま。迷惑。
Sくんが抜ければうまくいきます。
そうですよね?
進行をしていた子どもたちから、声が上がります。
「ちがいます!抜ければいいなんて思ってません!」
進行をしてくれたあなたたち。
前に立って何かをするということは、ある程度、自分の持っていきたい方向に話し合いを動かすことができます。
強い思いを持っていても、座っている人たちはあなたたちのようには自由に発言をすることができません。もどかしいときもあるんです。
人の前に立つ、ということには責任が伴います。
話し合いがうまくいかないのは、あなたたちの進め方に問題があるからです。
うまくいかないことがあったときに、人のせいばかりにして文句ばかり言う人は、前に立つ資格はありません。
そういう人たちは、もう勝手に前に立って進めないでください。
迷惑です。席に戻りなさい。
Sくん、これで満足ですか?
Sくんが涙ぐんで首を振ります。
「そこまで言ってません!ごめんなさい!」
文句ばっかり言っている人間は成長しません。
うまくいかなかったのは、人のせいですか?
うまくいかないときはどうすればいいですか?
あなたたちに今できることはなんですか?
子どもたちの表情は、もう変わっています。
子どもたちの中にあるもやもやを大げさにして私がぶつけたことで、彼らの感情はおさまる。
相手へのいたわりの気持ちが生まれてきます。
「Sくん、うまく進められなくてごめん」
「そんなことないよ。わがまま言ってごめん」
最後に、クラスのみんなの方を向いて話します。
何か行動を起こすことで、成功することと失敗することが出てきます。
失敗したときは、成長するチャンス。
次はどうしたら失敗しないか学ぶことができる大チャンスです。
今回、進行してくれた人たちとSくんは、このことからたくさん学ぶことができると思う。
どんどん成長していきます。
ただぼーっと座っていただけだったみなさん。
みなさんは、このままだと、今回のことで学ぶことはあまりありません。
ただ座っていたみんなも、考えてほしい。
次、こういうことにならないようにするために、自分にも何かできることはあったんじゃないかな?
自分がSくんや進行している人たちだったらどうしたかな?
そうしたら、みんなにとっても成長のチャンスになりますよ。
先生は、文句はきらいです。
みんなからの相談だったら、いくらでも力になりますよ。
すると、座っていたKさんが言いました。
「前に立ってくれた人たちは大変なのに、私たちもあまり協力してなかったと思う。ごめんね。」
ぼくも… 私も!
声が上がります。
Yくんがすっと前に出てきて言いました。
「先生、あと10分時間をもらえますか?先生もいるところで、話し合いがうまくいく方法をアドバイスしてください。お願いします。」
私は、にっと笑って言います。
「いやです!授業をします!また授業が遅れます!!」
どっと笑いが起こります。
「でも。まーいいよ。ただし、条件がある。
うまくいかないことがあったとき、みんなが文句ばっか言うんじゃなくて、きちんと相談をしてアドバイスを求めたり、失敗を生かして学び続ける人になってくれるなら!」
なりまーす!!
できまーす!!
元気な声が返ってきました。
私も失敗を恐れず、失敗を生かして成長する人でありたい。
だから、大人がなんとかしてあげるのではなくて、子どもたち自身が自分で考える機会をたくさん作っていきたいです。
みかん先生の自己紹介その②
教員になって4年目。
初めて6年生を担任しました。
このとき。
子どもたちの心が離れていく恐怖に、初めて襲われました。
2学期の中盤くらいから、
何を言っても、子どもたちに響いていない気がしました。
やんちゃっ子が私を試そうとしているのが分かる。
「なんでそんなことしなきゃいけないんですかー??」
子どもたちからの問いに、答えられない自分。
分からないが言えない。
取り繕って口から出てくる言葉が上滑る。
子どもたちの怪訝な顔。
怖い。
中学年に比べて、難しくなる学習内容。
授業がうまくいかない。
塾に行っている子どもからの意地悪な質問に打ちのめされる。
体育のマット運動。ロンダートなんて、どう教えていいか分からない。
サッカーの指導で何を言ったらいいのか分からない。
どんどん自信を失っていきました。
早く卒業すればいいのに…。
気が付けば、心の中で卒業式の日までをカウントダウンをしている自分がいました。
毎日朝が来るのが憂鬱でした。
月曜日が一番嫌いな曜日になりました。
卒業式の日。
情けないことに、私の心の中には、やっと解放されるという思いしかありませんでした。
卒業していく彼らにどんな言葉をかけたかすら、覚えていません。
すべてが終わった家までの帰り道。
心にぽっかり穴が開いたような虚しさに、涙が止まらなかった。
私に担任されて卒業していった彼らがかわいそうで。悔しくて。情けなくて。
何よりも、彼らと本気で向き合わなかった自分に腹が立って仕方がなかった。
もっとできた。きっともっとできたのに。
2度とこんな思いはしたくない。
2度とこんなクラスはつくらない。
そう思いました。
私は必死に学びました。
どうすれば、子どもたちに信頼してもらえる人間になれるのか。
どうすれば、彼らと心を通わせることができたのか。
心理学。
脳科学。
マネジメント術。
コミュニケーション法。
不登校について。
いじめについて。
発達障害について。
鏡の前に立って、どうやったら怖く見えるか練習をしたり。
授業を録音して研究したり。
サッカーやバスケの指導ができるようになりたくて、フットサルチームを立ち上げたり。
運動会で素晴らしいものを作り上げたくて、ダンス教室に通ったり。
何か問題が生まれる度に、それはもう、がむしゃらに学びました。
その学びは、私自身を変えていってくれました。
その学びは、子どもたちをさらなる成長に導いてくれました。
この後受け持ったクラスで、うまくいかなかったことはありません。
一番大切なのは、そこで起こる問題とまっすぐ向き合う姿勢なのかもしれません。
高学年は、学級経営法だけではうまくいきません。
何かをすることの意味とか、自分はこれがしたいんだという軸をもつこと。
やんちゃな子どもに媚びることなく、言動を一致させること。
自分の主張に対して後ろ盾となる知識や情報をしっかりともっていること。
子どもたちの心の中で起きている悩みや葛藤を専門的立場から理解し、適切な対応ができること。
子どもたちに胸を張って対峙できる自分になるために、日々学ぶこと。
これからも学び続けていきたいです。
そして、学びから得たことを発信し続けていきたいです。
みかん先生の自己紹介その①
私は、ものすごく自己肯定感の低い子どもでした。
自分に自信がなさすぎて、自分の容姿も嫌いすぎて、
鏡に映るのも、写真に映るのも大嫌いな子どもでした。
私にとって、学校はとてもつまらない場所でした。
小学校5、6年生のときのクラスは、今から思えば崩壊状態だったし、
中1のころにちょっとしたいじめにあったり、
中2のころに女子グループの派閥争いにウンザリしたり。
毎年巡ってくる似たような行事も、
よく分かんないことを偉そうに言う先生も、大嫌いでした。
親は喧嘩ばっかりしていたこともあって、
生きていて楽しいことなんて大してないと思っていました。
かといって、わざわざ自分で死ぬのも面倒だから、
20歳くらいで事故にでもあってふっといなくなれたらいいのになー
みたいなことをよく考えているような子どもでした。
まさか・・・。
私が先生になるなんて、思いもしなかった。
でも。
今。
私には、子どもたちに伝えたいことがある。
「もう、死にたいなー」
そう言ったときに、本気で怒ってくれた友だちのこととか。
歌うことに出会って感じた幸せとか。
不本意にたどり着いた大学にいた教授との出会いが人生を変えたこととか。
ガンジス川のもつエネルギーとか。
留学先で出会ったホストファザーが明日を信じる元気をくれたこととか・・・。
生きてるって、悪くないよ。
人と出会うことで、可能性は無限大に広がっていく。
あなたたちは、無限大の可能性をもっている。
出会ってくれてありがとう。
一緒に楽しみながら今を生きていこうよ。
あなたはあなたのままで とってもすてきです。
私の方法で、伝え続ける。
あなたの未来はあなたがつくる。
2つのグループが対立!~トラブル解決法。正義と悪をつくらない!~
近頃。
「みかん先生ってあなたのことでしたか!ブログ読んでます!!」
みたいな声をかけられることが増えてきました。
うれしい限りです^^
先週のできごと。
昼休みが終わって教室に入ると、なにやら不穏な空気が流れていました。
「どうしたの?何かあった?」
尋ねてみると、子どもたちから不満がぶわぁーーーーっと出てきました。
「騎馬戦の作戦立てよう!って言ったのに、Kくんたちがふざけてて全然聞いてくれないんです。」
「はぁ?話し合いしてるなんて聞いてないし。」
「言ったし!」
「だいたいオレら以外にも遊んでたやつらいました!Mくんとか!」
「え!!オレ最初だけだし!そのあとちゃんと参加したよ!」
「だいたい、声かけずに始められてもわかりませーん!」
「声かけたって言ってんじゃん!」
おおぉぉぉぉぉ。見事にカオス。Σ( ̄ロ ̄lll)
またしても、授業をつぶすことを決意しました。
「分かりました。全員、国語の用意をしまってください。」
落ち着いた口調で、でも強めにきっぱりと言います。
「今から起こったことを整理しましょう。いつも言っていますが、人によって見える世界、受け取り方、感じ方は違います。すべての人の意見を先生は尊重しますから、正直に話してください。みんなも、相手の意見を尊重して聞いてくれたらうれしいです。」
こういうときは、見える化です。
何が起きたのか。
そのとき、子どもたちの心の中でどんな感情が起こったのか。
黒板に整理して見える化していきます。
整理してみると、こういうことでした。
Hさんたちは、「昼休みに作戦会議をしよう」と掃除の時間の終わりに呼び掛けた。
そこで聞いていたのはクラスの半数ほど。(Kくんたちは聞いていなかった)
聞いていた中で、選抜リレー練習や委員会の活動で、昼休みは参加できない子もいた。
そして、昼休み。
Hさんたちと先ほど聞いていたメンバーで、ゆるゆると会議がスタート。
もともと遊ぶ約束をしていたKくんたちは、教室の後ろで遊び始めた。
すると、「遊んでないで参加して!」と女子数名から怒られた。
「参加って何に?」と聞いたが、それは相手には聞こえておらず、Kくんたちは答えてもらえなかったと感じた。
「前の方でなんだかコソコソやってて嫌な感じ。なにやってるかわかんない。」と感じ、なんかむかつく!と思ったKくんたち。
注意に構わず遊び再開。
そこへ、Mくんがやってきてちょっかいを出してきた結果、遊びがわぁっと盛り上がった(ように見えた)。
(ちなみに、Mくん的には、「遊んでるほうが楽しそうに見えてつい…」とのことw)
その後、話し合いたい組と遊びたい組のぶつかり合いは激化。
Mくんはしぶしぶ話し合いに戻る。
結局ほとんどが言い合いで終わり、作戦会議は進まず、昼休みは終了した。
ここまで聞いていくと、子どもたちはもうだいぶ落ち着いています。
あとはこう聞くだけです。
「ここまで話してみてどう??」
みんながいるときに声をかけるべきだった。
責めるんじゃなくて、「一緒に話し合おう」って誘えばよかった。
何やってるかわからなかったら確認しに行けばよかった。
意地になってごめんなさい。
お互いが自分の意見を言って、あやまって、次からこうしたいということを、勝手に子どもたちが話し始めます。
そのあと、私の見解を話します。
「これは、先生の個人的な意見だけど…
騎馬戦の作戦会議をしたいというのは、とても素敵なことだと思う。
でも、それって全員が参加しなければならないものですか?
休み時間はみんながもっている自由な時間。
何をするかはひとりひとりが選んでいいものなんじゃないかな。
今回Mくんが言ってくれた正直な意見、先生はわかるよ。
″本当は遊びたかったのに作戦会議のせいで遊べなかった。Kくんたちはずるい″
そう思う人は、作戦会議なんかしなくていいと思う。
″誰が参加してもしなくても、自分は作戦を立てたい。それで騎馬戦に勝ちたい!″と思う人が作戦会議に参加すればいいんだよ。
その作戦をみんなでシェアできればいいんだと思うよ。
作戦立ててなんとしても勝負に勝ちたい!人もいれば、そんなのいいから楽しくやろうよ!っていう人もいるんだよ。
先生はそのどっちもありのクラスにしたいと思うよ。」
貢献は大事。
でも、周りに文句を言いながら苦しみながらやる貢献は、自分にとっても周りにとってもよくないことが多いです。
これは、自分自身に対しても言い聞かせていきたいです。